治承3年(1179)、地域の領主・斎藤実盛が守り本尊の大聖歓喜天を祭ったことが始まり。江戸時代の再建によって「埼玉日光」とも称される現在の姿へ。「聖天さま」とよび親しまれている名刹に込められた地元の人たちの思いを感じたい。
平成15年から7年間を要して行われた修理工事で、創建当時の装飾美を取り戻し、平成24年に建造物として県内最初の国宝に指定された聖天堂(本殿)。「埼玉日光」と称される一方で、日光東照宮の100年以上後に建てられたこの建物は、本体の形、極彩色の彫刻や漆塗りなどにおいて、本家を凌駕する複雑な装飾的表現をもつといわれる。これら妻沼聖天山の再建が始まったのは江戸時代、享保20年(1735)。工事の総指揮を執ったのは地元の大工棟梁、林正清(はやしまさきよ)。また、彫物師として江戸幕府御用の工匠や、絵師として当時の最高の地位にあった狩野英信(かのうてるのぶ)とその弟子など、当代一流の職人、美術家らが参加した。途中水害による中断も含め、44年の歳月をかけて完成を見る。この間、再建費用は地域の住民たちが浄財を出し合い、あるいは精密な完成図を携えて江戸に渡り寄付を募るなどして集め続けられた。それまでの幕府や大名、豪商を中心とした寺社造営とは大きく異なる点である。今も妻沼の人の心のより所として、暮らしに溶け込む「聖天さま」。地域を思う心が生んだ国の宝だ。
❶高さ約14mの総門。国の重要文化財。錦帯橋の架けかえの担当者で、寛保の大洪水の復旧工事のために妻沼に滞在していた岩国藩士・長谷川十右衛門が親交を結んだ林正清に帰国後に送った設計書をもとに完成。3つの破風が重なった全国に4例しかない特殊な屋根の形をもつ/❷サンフランシスコ平和条約の締結を記念し、昭和33年(1958)に建立された総欅造りの多宝塔/❸台風による倒壊を受け、明治27年(1894)に再建。両金剛力士像は、万治元年(1658)の建立時のもの
形勢不利を承知の上で、73歳の実盛が木曽義仲との戦いに出陣するにあたり、「最期こそ若々しく戦いたい」という思いで白髪と髭を黒く染めるさまを表す
めぬましょうでんざん
JR熊谷駅から朝日バス妻沼聖天前行きで30分、妻沼聖天前下車すぐ
熊谷市妻沼1511
境内無料(聖天堂拝観は700円)
10時~15時30分(最終受付は15時)
無休
300台
だいふくちゃやさわた
築約120年の古民家を改装した茶屋で、2種類のチーズをブレンドしたちーず大福162円のほか地域食材を使ったランチも提供。2階の飲食スペースには、妻沼聖天山や妻沼に関連する展示、書籍もあり、地域に対する理解も深まる。
しょうでんずし
元は利根川の舟運の船頭のファストフードだったことから、妻沼聖天山の名物となったいなり寿司。その人気店の一つ。長細い形も味付けも昔ながらのいなり寿司は一人前3本(のりまき4個付き)で460円。昼には売り切れてしまうことが多い。
妻沼聖天山の再建を可能にした背景には、地域の豊さもあった。利根川が育んだ恵みを今も大切にする、その名残をたどりたい。
江戸時代には物資の集積場として賑わい、現在は県道83号の一部として群馬県千代田町との間を渡し舟で結んでいる。乗船したい時は、手前にある黄色い旗を上げて千代田町側に合図を送れば対応してくれる。
くずわだのわたし
(千代田町建設下水道課)
JR熊谷駅から車で22分
熊谷市葛和田
無料
8時30分~17時(4月1日~9月30日。10月1日~3月31日は~16時30分)
増水や強風等により運航が危険な場合
あり
利根川に生きた妻沼の人の名残を今に伝える大杉神社の夏祭り。2tもの神輿で利根川に練り入り、その上で猛者たちが揉み合い除災を祈願する関東三大あばれ神輿の一つ
くずわだおおすぎじんじゃあばれみこし
かつて国内シェア75%を占めた整髪料「メヌマポマード」の創始者で名誉町民第1号、「ポマード王」こと井田友平(いだともへい)の居宅を元町役場敷地内に移築。井田氏の堂々とした胸像が立つ。
いだきねんかん
(熊谷市妻沼行政センター)
バス停妻沼聖天前から徒歩10分
熊谷市妻沼1706-1
見学無料(館内はイベント時のみ)
見学無料(館内はイベント時のみ)
見学無料(館内はイベント時のみ)
50台