
大浦天主堂は1864年に在留外国人のために建てられた現存する日本最古の教会。潜伏キリシタンの歴史と深い関りがあり、2018年には世界文化遺産にも登録。大浦天主堂のみどころを詳しく紹介します。
おおうらてんしゅどう
開国初期の元治元年(1864)に在留外国人のために建てられた、現存する日本最古の教会。慶長元年(1596)12月(西暦では1597年2月)に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会で、正式名称を「日本二十六聖殉教者聖堂」という。建物と宗教的価値から昭和8年(1933)に国宝に指定されたが、昭和20年(1945)の原爆投下で損傷。5年の歳月をかけ修復し、昭和27年(1952)に国宝に再指定された。
電停大浦天主堂から徒歩5分
長崎市南山手町5-3
拝観1000円(博物館の見学料込)
8時30分~18時(11~2月は~17時30分、入館は各30分前まで)
無休
なし


平成30年(2018)に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産に登録された。潜伏キリシタンの歴史と深い関わりがある大浦天主堂は、構成資産の一つとなっている。
元治2年(1865)3月17日、浦上地域から農民が数名訪れ、プティジャン神父に「私の胸、あなたと同じ」と囁き、キリスト教徒だと打ち明けた。それは、キリスト教禁教令から約250年後のこと。長崎で密かに信仰が伝承されていたことが明らかになった、奇跡の瞬間だった。

天主堂入口手前の広場にある信徒発見の様子を描いたレリーフ



柱を少なくして広い空間をつくり出すことができる様式。欧米では石を積んでアーチをつくるが、こちらは木製の柱から竹で曲線をつくり漆喰で固めた日本古来の工法で建築

信仰を貫いた26人の信者が西坂の地で処刑される様子を描いた油絵。教会には二十六聖人のお骨も安置されている

二十六聖人の殉教地を探しながら大浦天主堂を完成させたプティジャン神父。大浦天主堂の地下に眠っている

主祭壇右の小祭壇。信仰を守り続けたキリシタンの子孫が、初めて目にしたマリア像

聖堂には正面の主祭壇に加え脇祭壇がある。信者が多い教会ではここでも祈りを捧げていた。大浦天主堂には6つの小祭壇があり、それぞれに像が安置されている

主祭壇奥に掲げられた「十字架のキリスト像」。原爆により破壊されたが、昭和26年(1951)にフランスのロジェ商会により復元された

創建当時の大門といわれる分厚く大きな扉。植物の彫刻が施されている



「信徒発見」のニュースを祝い、フランスから贈られた。慶応3年(1867)に安置された
日本人の大工が手がけ、屋根は瓦葺きの純和風になっている
隠れた日本人信者の存在を意識し、創建当時から日本語で掲げられた
当時最先端だった長崎製造のレンガを使用。薄く長いため「こんにゃくレンガ」とよばれた。その上に漆喰が塗られている





おおうらてんしゅどう きりしたんはくぶつかん
天主堂右手の「旧羅典神学校」と「旧長崎大司教館」をリニューアルした、約2世紀を超える日本のキリシタン史を伝える博物館。慶応4年(1868)に来日し、布教に尽力したド・ロ神父のロザリオを日本で初公開するほか、聖母マリアを模した観音菩薩像「マリア観音」など約130点を展示。
