熊本地震で被害を受け、復旧に向け修復中の熊本のシンボル。天守閣をはじめ、現在公開されているエリアをチェックしよう。
くまもとじょう
慶長12年(1607)、茶臼山とよばれた台地に加藤清正が築いた熊本城は日本三名城の一つに数えられる。平成28年(2016)の地震では重要文化財の建物全13棟や石垣の3割が被害を受けた。天守閣の復旧は2021年に完了したが、城全体の完全復旧にはまだまだ時間を要すると見込まれている。
(熊本城運営センター)
電停熊本城・市役所前から徒歩10分
熊本市中央区本丸1-1
800円
9〜17時
年末(12/29~12/31)※変更の場合あり
210台(二の丸駐車場利用)、58台(城彩苑駐車場利用)
個人や8名以内のグループで利用可能で、受付は桜の馬場 城彩苑総合観光案内所。主に桜の馬場 城彩苑から天守閣前広場まで案内してくれる。所要は約45分。詳細はHPを要確認。
【TEL】096-356-2333(くまもとよかとこ案内人の会) 【料金】ガイド料無料(予約不可) 【時間】9〜15時(受付) 【休み】無休
二の丸駐車場と桜の馬場 城彩苑の間をシャトルバスが運行。
【時間】9〜17時で15〜20分間隔 【休み】無休
加藤清正が領主となり隈本城に入城したのち、茶臼山丘陵に新たに新城を築いた。完成した慶長12年(1607)に熊本に地名を改めた。武者返しとよばれる石垣などの見事なつくりや規模の大きさ、美しさなどから日本三名城の一つとされる。
寛永9年(1632)に領主が細川忠利になって以降、細川氏の治世下で二の丸、三の丸の整備などが始まり、江戸時代が終わるおよそ240年の間災害からの復旧や修理が続けられた。
明治10年(1877)の西南戦争開戦直前の火災で天守・本丸御殿を焼失するも、西郷隆盛率いる薩摩軍の侵入を許さず防衛力の高さを示した。昭和35年(1960)には天守が再建、平成以降にも櫓や門などの復元が進められた。
現在も復旧工事中で立ち入りが制限されている城内。二の丸広場側から天守閣へ向かう「北ルート」と、地上約6mのスロープを歩く「南ルート」の2つのルートを特別公開している。
※北ルートは土・日曜、祝日を除き、一部が通行不可
天守に匹敵する構造と規模の櫓は、第三の天守ともよばれている。西南戦争後に焼け残った唯一の多層櫓で国指定重要文化財。3重5階地下1階で築城当時の姿を保つ。
※現在工事により囲いに覆われている
地震からの復旧が完了し、屋根瓦の目地や破風(はふ)に塗られた真新しい漆喰の白と下見板の黒が美しく映える。反りが見事な大天守の石垣も健在。
昼間でも暗い地下通路は日本全国の御殿建築のなかでも特異な存在。頭上は本丸御殿で、ここから御殿に上がっていた。
熊本城の東側の防衛を担っていた櫓群が高石垣の上に立ち並ぶ。不開門を含む櫓はいずれも国指定重要文化財。さまざまな形の櫓が立ち並び往時の熊本城の姿を感じさせる。
古い石垣(写真右)に新しい石垣(同左)が築き足され、時代違いの石垣が見られる。石の形や大きさの違いで技術革新の様子がわかる。
1階は土間、2階の御広間は茶会などの文化的遊興の空間であったと考えられている。地震によって石垣の一部が崩落し、修復中。建物の南面には防衛施設としての十分な備えもされていた。
坪井川に面した平御櫓から馬具櫓まで続く塀で、長さは242mにも及ぶ。現存する城郭内の塀では国内最長で、国指定重要文化財。地震により80mほどが倒壊したが、2021年に復旧した。